とある地方大学院生のぐーたらブログ (まともなことかきません)

ガンジーさんがいった言葉

『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』 

特に
「世界によって自分が変えられないようにするため」
この部分が心に響く。

偽りとまではいかなくても結局は誰かによって作られた世界なんだから、それで自分を変えちゃったら生きてる意味がない。

なに言われようと自分の信じるままに生きよう。

以上です。

美と知

美貌と知性を兼ね揃えた人
これは誰が見ても誉め言葉として受け止められるでしょう。
これを略して、美と知を兼ね揃えた人といった場合、これもまた誉め言葉として受け止められるでしょう。
しかし更に略すと、美知な人、、
字面だけだとまあわかるが、会話で使うとまあややこしい事になると予測できましょう。

何が言いたいかというと、
言葉は略さないでキチンと使おう、ということ。

以上です。

「美味しい」が変わりました

最近自分のなかの「美味しい」が変わったことに気づきました。
例えば、昔は団子と言えばみたらしであり、よもぎはガン無視であんこに至っては存在の意義がまったく理解できませんでした、しかし今となっては団子と言えばよもぎにつぶあん以外あり得ないと私の舌がいうではありませんか。
久々にみたらし団子を食べながら思いました。

以上です。

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親戚は基本的に嫌いです

タイトルの通りです。
母方のおばあちゃん一家を除いて全ての親戚をあまり好ましく思っておりません。
というのも、まったく面識が無いまま今日まで過ごして来たからです。

最近になって老人たちの暇潰し?で親戚間の関係を良くしようとする動きがあるのですが、非常に迷惑この上ない行為だなと感じてなりません。

私にとっての家族は両親と弟、そして高校時代の親友であり、親戚は母方のおばあちゃん一家であり、それ以外とは正直あまり深く関わりたくないというのが本音です。
冷徹なヤツだと思われるかもしれませんが、生理的にムリなものはムリなのです。

あーあ、イライラする。

愚痴でした。

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